前回の記事に引き続き「我が家の凸凹くんのお友達事情」について書かせていただきます。
お友達関係について語るには「コミュニケーション能力」について触れないわけにはいかないので、通級に通うまでに起きたことも詳しく書かせていただきます。
少し横道に逸れて長くなってしまいますが、お付き合いいただけましたら幸いです。
担任の先生から指摘されたこと
前回の記事では、息子のラズくんが小学校2年生時に、Eくんというお子さんから暴力を受けてしまった事件について触れました。
事件後も頻繁に繰り返されるEくんとのトラブルについて、面談で担任の先生に相談しました。
すると、「クラスのみんなはEくんからのちょっとした攻撃を仕方ないとやり過ごせるところ、ラズくんはスルーできずにEくんを刺激することでターゲットになっている部分もある」と言われました。
同時に、ラズくんのコミュニケーション能力についての指摘も受けました。
クラスでのレクリエーション中に、気になる出来事があったのだそうです。
そのレクリエーションは、クラス全員で一つの輪になって座り「〜してくれてありがとう」と、隣のお友達に感謝する言葉をかけながら、手に持った縫いぐるみを回していく、という活動だったそうです。
ラズくんは隣になった女の子と今まで一度も関わったことがなかったらしく、「”ありがとう”と言う内容が思いつかない」と言ったそうです。
何も思いつかなかったら、「いつも笑顔でいてくれてありがとう」とか、「給食を配ってくれてありがとう」とか言うようにと先生はおっしゃったようですが、ラズくんは頑なに「そういう記憶はないから言えない」と訴えたそうです。
「お子さんによっては、そんな言い方をされたら傷ついてしまう場合もあると思うので……」
と、話の最後に先生は付け加えられました。
お話をききながら私は、「なんて高度なことをしているのだろう!!」と驚愕していました。
脳内では、山手線ゲーム、または古今東西みたいな風景が再現されていました。
みんなが注目する中、自分の番がきたらいい感じの事を言わなければならない。
私自身、山手線ゲームみたいな遊びが大の苦手なのです……。
小学2年生というのは、こんなにもしっかりとしてきているものなのか。
ハードルが高すぎる。
こんな活動をこなしているラズくんの姿なんて、当時の私には全く想像できませんでした。
もともと他人への関心が極端に薄いラズくんです。
ほとんどのお子さんの名前すらろくに認識していなかったので、隣になった女の子のことを軽視しているとかではなく、きっと、本当に困ったのだと思います。
さらに、この状況には「決して嘘が言えない」という、ラズくんのもう一つの性質が絡んでいることにも思い当たっていました。
ラズくんのような特性を持った子さんあるあるだと思うのですが、車が一台も見えない交差点で、どんなに急いでいたとしても信号が点滅しだしたら絶対に横断歩道を渡らない、とか、
公園の遊具の適正年齢に自分が該当しない場合は絶対に遊ばない、など融通がきかないところがありました。
砂場付近でペットを連れている人の前で「犬だめよ〜猫だめよ〜」と、本人は注意するつもりではないのですが、いつものように遊ぶ前に看板を一通り読み上げて、気まずい雰囲気になったこともありました。
正直すぎる言動が、場の空気を悪くしたり、時として相手を傷つけてしまったりすることもある。
これ、一体どこからどうしていったらいいの?
さっぱりお手上げ、当時の私はまさに白旗を上げたい気持ちになりました。
「ーーーどうしたらいいですかねえ……」
私は思わずため息交じりにそう呟いていました。
相手が担任の先生だということも、一瞬頭から抜けていました😓
日々繰り返されるお友達とのトラブル。それもラズくんにも原因があるという。
登校しぶりや宿題への癇癪、体育や習い事でも何もできるようにならない現状。
本当に、途方に暮れてしまったのです。
先生も、そんなこと聞かれてもと困ったのでしょうか。それともまた違う逡巡だったのか。
「うーん」
と、しばし間を置いた後、
「ソーシャルスキルを学ぶセミナーみたいなのに参加してみるとか……?」
と言われました。
今となって思うのは、一つは、発達相談をしてもいいのでは? ということは先生の口からは言いにくかったのか、もしくは言ってはいけないルールだったのか? ということ。
それかラズくんに発達の遅れがあるようには見えなかったのかもしれない、ということ。
もう一つは、傷害やいじめなど、学年でかなりの問題がありましたので(ラズくんの学年が荒れていたという噂は、電車で数駅離れた通級にまで轟いていたようで😅)、
ですので、先生の視点では、ラズくんくらいの問題なんて些細ことで、正直それどろではない!という状態だったのかもしれない、ということ。
とにかく、当時の私は、先生との一連のやりとりに釈然としない気持ちのまま帰宅しました。
※補足しますと、この時の担任の先生は、若い女性の方で赴任してきて一年目でした。
Eくんのご家庭には難しさがあり、流血事件が起きても保護者の方とは全く接する機会がありませんでしたが、怒鳴り込まれたご家庭があったり、警察沙汰になるほどの騒ぎが起きたこともあったとPTA絡みで知りました。
赴任してきていきなりEくんの担任になった先生は苦労されたでしょうし、家庭間で問題を大きくしないよう、曖昧な対応で去なすしか方法がなかったのかもしれません。
だからといって、我が家が当時、この件で納得できたかといったら話は別で……
ラズくんが完全にEくんのターゲットになっていたので、夫が学校に電話をして改善を強く訴えることで解決しました。
まず席を一番端と端に離してもらい、その後の学年でEくんと同じクラスになることもなくなり、物理的に距離をおくことで何もなくなりました。
ただそれだけのことでしたら、早くそうして欲しかったです(^^; でも、先生もやってみないと気づかなかったのかもしれませんしね。
その後力が強くなってきた男の子たちの暴力にも、卒業までずっと文字通り体をはって対応されていた、真面目で頼もしさもある先生でした。
6年間を通して印象的だったのは、ラズくんに接してくださっていた、最初はちょっと頼りないかも……と否定的に見ていた若い先生がたが、メキメキと成長されていくのも目の当たりにしたことです。
先生も、たとえばラズくんような問題を抱えた生徒などと接し、初めての経験に失敗したり悩んだりしながら成長されていくのだなと実感しました、親もそうであるように。
さて、面談から一晩あけ、気持ちを整理した私は、放課後ラズくんを連れて役所へ出向きました。
担任の先生のすげない(と、当時感じた)言葉から、他人に何かしてもらうのは1%でも難しいことを実感しました。ですが自分ならば自分のために100%の力で動くことができるのです。
まずは我が家ができることに全力を尽くしてから他人に何か主張しよう、と気持ちを切り替えました。
そして、この先のラズくんの小学校生活に「あらゆる面で」不安が募ったため、今度こそ解決に向けて動きたいという切実な気持ちもありました。
役所では「小学校でコミニュケーション力について心配があると指摘されたこと」そして「子供向けのSSTがあれば教えて欲しい」ということ、また「過去に発達検査を受け、様子見になったこと」もお伝えしました。
以前発達検査を受けたところは課が変わっていたようで、該当する場所へ案内されました。
すると担当者が不在ということで、発達に関する相談ができる施設や、通級の連絡先がプリントされた案内を何枚かいただきました。
そして帰り際に、以前の記事にも書いた通り、
「お子さんには障害とかあるようには見えませんけど……あまり決めつけて、思い込まない方がいいと思いますよ」と言われました。
その時はラズくんも横にいましたし、きっと何か、良かれという気持ちでそう声をかけて下さったのでしょう(そう思いたいです^^;)。
「まあ、人からはそう見えるのだろうな」と、その日の私はやけに冷ややかな気持ちで聞き流していました。
「発達障害なんかじゃないよ」「こんなの普通だよ」という言葉は、本当によく周囲から言われてきました。
そう言ってもらうたびに「やっぱりそうだよね」と安堵のような気持ちが一瞬広がるのですが、
それならば目の前のこの状況は一体なんなんだろう、と、すぐにいつもの得体の知れない孤独感がせり上がってきました。
一時の不安を優しく拭い去ってくれる言葉に甘えて、何度も同じトンネルの入り口に舞い戻ってきていた自分に、この時気がついたのでした。

帰宅した後すぐに通級に電話をしたのは、いただいたプリントに「学校を嫌がっているお子さんもご相談ください」というようなことが書かれていたからでした。
保護者から直接問い合わせがあるのは珍しいのか、少し驚いたように「小学校を通してください」と言われました。
恥ずかしながら、そこで初めてスクールカウンセラーの先生に相談できることを知りました。
紆余曲折あり通うことが決まった通級では、小学校でラズくんに起きた出来事は全てお話ししました。
ありがたいことに、通級では、親や子供の困りごとに最適化された指導をしてくださり、ラズくんは自己コントロールと同時にコミュニケーションについても学び始めました。
ラズくんは現在、私の見立てでは「相手の気持ちを察する」ことはできるようになっているようですが、当時は「自分の感情」で頭がいっぱいになり周囲を見る余裕がなかったり、自分がどう見られているか相手の視点を想像する力も弱かったようで、自己中心的と捉えらえられてしまう言動をよくしていました。
通級で4年生時に「心の理論課題」という検査を受けたらしいのですが、「複雑な問題になるとそれぞれの人物の立場に立って考えるのに苦手さはあるけれど、落ち着いて考えれば整理して答えることができた。
また、『妨害と欺き課題』という、必要な嘘をつかないとマズイ状況になる、という問題では、嘘をつくことに抵抗を示して困っていたが、最終的には受け入れて正当していた」とのことでした。
通級の先生からは、最初のアセスメントを受けた時から、「言語が高いので言葉で説明し、知識を積み上げていくことによって苦手を補っていける」とアドバイスをいただいていました。
「心の理論課題」は恐らく↑こちらを受けたのだと思います。
親でも遠慮して指摘できなかったこと
ラズくんの特性の一つに「自分の好きなことに関してドンドン話してしまう」とういう所がありました。
ラズくんがプログラミングの本を持ち歩いているのを、大人が「その本面白そうだね」とか、「どんなことが書いてあるの?」とか声をかけてくれようものなら、ラズくんの話は止まらなくなり、そして私はなぜか、ラズくんの止まらない話を中断するのが苦手でした。
自宅に帰ってから、「相手にしてみたら、プログラミングの話にそんなに興味なかったかもしれないよ?」くらいは言えたのですが、「いや、向こうから質問してきたのだからそれはない」と自信満々のラズくんに、何も言えなくなってしまっていました😓
それ以上のことを言うと、ラズくんを傷つけてしまうような気がしたからです。
好きな話が止まらなくなる話を通級で相談したら、「あああ・・・ハイハイ」という感じで(あるあるなのでしょうね)すぐに指導に取り入れてくださったようで、
大好きなMacについて止まらない話を始めたラズくんに「先生そんなに沢山話されてもパソコンとか興味ないから」と、ズバッと言って下さったことを報告してくださいました。
そうした先生からの報告は、そのまま親としての振る舞いの模範になったこともありがたかったです。
また、いっとき、6年性の時だったと記憶していますが、ふざけて独特な仕草(表情)をこちらに向けてくる時があり、なんだか気になっていました。
やはりすごく言いにくかったのですが、通級でのことを思い出し「その表情、奇妙だから見ててなんだか変な気分になるな〜」(私の語彙力😅)と、軽ーい感じで言うことができました。何回かそう指摘したら、すぐにしなくなりました。
親として、どこまでそういうことを指摘したらいいのか判断に迷うのですが、「お友達に引かれたり、からかわれてしまいそうだな」と思うことを基準に、指摘するようにしました。
また、通級を卒業するときに、「ラズくんがからかわれてしまいそうなところはないか」ということを小学校の担任の先生に確認してくださったそうです。
「家庭が弱い場合は、毎日髪の毛を洗ってください!」とか言うこともあるのですが、ラズくんは見た目もスッキリしていますし、担任の先生も揶揄われそうな要素はないと仰っていたので、その点は大丈夫だと思います」と言われました。
身だしなみまで見てくれるのか!さすが……と、小学校とは違い、思っていても他人には指摘しづらい部分まで突っ込んでくれる通級ってほんとにすごいなと驚きました。
嘘と方便
我が家では、他所と比べて遅い方だと思うのですが、4年の最初くらいまでは、私とラズくんとで一緒に入浴することがありました。手を繋いで歩くこともありました。
通級で「お母さんとお風呂に入ることがある?」ときかれて、
ラズくんが「たまにしかない」と答えたら「それを正直に言うと、からかわれちゃうかもよ」と先生が指摘してくださり、「じゃあ、言わないでおこうかな……」という風にラズくんは答えたそうです。
そして、そのやりとりが連絡帳に書いてもあったので、私自身も外で手を繋いだりしないようにしよう😅と、自重するようになりました。
このように通級で指導していただいたおかげで、ラズくんは徐々に頑固にこだわっている自分に気づいてやめることができるようになったり、方便を柔軟に受け入れられるようになってきたりと、どんどん成長していきました。
それから、私はよくラズくんの身の回りでのやりとりを例にとって「あの子は自分を卑下してそう言ったのだろうね。でも本音ではこう思っていると思うよ。だから、そんな時はこういう声のかけかたをしたほうがいいよ」とか、『会話の裏の種明かし』を、どんどんしていくように心がけていました。
ラズくんは多くの人と話せなかったので、実際にやりとりできるかは別次元の事として話しました。
あくまでも「解説・知識の伝播」にとどめ、無理に話しかけるようには言いませんでした。
それから、「君がこう思ったとしても、多くの人はそうは思わないだろうから、みんなの前ではその考えは黙っていたほうがいいよ」など、周囲から浮いてしまいそうな考えは、客観的にその事実を指摘しました。
本当は、自分の思ったことは自由に表現できるほうが好ましいですが、周囲との軋轢で余計なストレスを受けることのないよう、しつこいくらいに解説しました。
これらは大人になっても自分の周りを戦場にしないために必要なスキルだと思います。
ですのでこの「解説」は通級を卒業してからも、小学校を卒業するまではずっと続けていました。
ーーーとはいいつつも、
本来のラズくんらしい考え方も、自分や周囲が困らない程度の個性ならば、私は大切にしてもらいたかったですし、否定したくはありませんでした。
ですので、「まあ、そういうのは日本人特有の感覚だろうけどね」とか付け加えたり
「君は君にしかない武器を持っていると思う。それを今はとにかく磨いて尖らせなよ。誰にも負けないくらい武器が強くなったら、君が多少人と違うことを言ったりしたりしても、周りはもう何も言ってこなくなると思うよ」……なんて言ったりはしてしまいました😅
子供の前で学校や先生を悪く言わない
我が家ではソーシャルスキル以外にも気をつけていたことがありました。
それは小学校や先生にモヤモヤすることがあったとしても、それをラズくんの前で絶対に口にしなかったことです。
これは夫が最初に言い始めたことでしたので、どういう気持ちでそう言っていたのか、改めて言葉にしてもらいました。
すると3つの理由があったようです。
「生徒が学校や先生に不信感を抱くと、スムーズに指導が行き渡らなくなる。そういう家庭が多いとクラスが荒れやすくなり、先生のリソースは対応に割かれる。その分、自分の子供が学ぶ機会を失うことになる。結果的に自分の子供が不利益を被ることになる」
「『三人行えば、必ず我が師有り』という言葉がある。相手がどんな人間だとしても必ず学ぶところはあるはずだ。そういう姿勢を我が子に身につけてもらいたい」
「学校や先生に反抗的だと、学校行事に積極的ではなくなる。学校行事に積極的に参加する生徒と、受験のためだからといって適当に参加(もしくは不参加)していた生徒とでは、学校行事に積極的だった生徒の方が最終的に進学実績が良かったというデータがある」
という理由からだったそうです。
当時の私とは全く違う考えからだったのだな、と思いました😅
なんというか……本当にラズくんの学びに特化してるな、とある意味感心してしまいました。
それでは、私はどういう思いから学校への不満を言わないようにしていたかというと、
発達障害特性として知られている「認知の歪み」や「他責思考」に陥ってしまうことを危惧していたからです。
通級に通い始めてすぐにあった春の全体保護者会で、ある先生が仰っていた言葉が強烈に印象に残っています。
「みなさんは、日々報じられるニュースを見るたびに、不安を感じていることと思います。
ですが、ここにいるみなさんのお子さんは絶対に大丈夫です! なぜなら、みなさんはお子さんと向き合おうとしているからです!」
と、声を震わせるほどの感情を込めて仰っていました。あまりに何もわかっていなかった当時の私は
「えええ?! ニュースって?!」
と本気で何のことを言っているのか分かりませんでした。
いじめを苦に命を絶ってしまうとかかな、と考えました。
その後、発達特性を取り上げた漫画や本などを読んでいるうちに、通級の先生が仰られたかったことがじわじわと胸に迫ってきたのでした。
また、おこがましいのですが、小学校や先生と対立しているお母さんやお子さんを見ていて、常に感じることがありました。
自分の言い分をきちんと伝えるのは勿論大切ですが、もう少し自分の中にも要因を見つけることができたら、この方やお子さんはもっと楽になるし、問題がシンプルになって上手くいくだろうになあ……ということでした。これは自分の経験から気づいたことでもあります。
学校や先生と対立していたご家庭のお子さんは、先生や同級生たちを「憎んで」すらいそうに見えましたが、きっとその感情は、辛さや悲しさへの防衛だったのではないかと思います。
学校やお友達に100パーセントの非があるという捉え方は、そのうち同僚や会社に、ひいては社会に非がある、という考えに発展し、社会参加へのハードルを上げてしまうように感じます。
印象に残っている通級の先生の言葉は、私の中でそうした危機感に繋がっていきました。
話が少し逸れましたが、単純に、今身を置いている場所が「自分の居場所」だと実感できないことは、本人にとっても親御さんにとっても、とても苦しいことだと思います。
そうならないためにも、学校や先生や同級生たちは、こちらをただ軽んじているとか、攻撃したいわけではなく「いちいち言わないけれど、または、人に言いたくない事だから言わないけれど、相手も何か事情を抱えているのではないか」とか、「相手なりの言い分があるのかもしれない」または「どんな結果になるか考える前に、つい言って(やって)しまったのかも」などと想像するよう、意識的に促してきました。
相手の立場を想像するのが難しかったラズくんでしたが、世界はそんなに酷い場所じゃないと、そう伝えたくてしてきたことでした。
小学校時代は「ガイダンス期間」だと割り切った
我が家はラズくんが通級に通っていることをオープンにしていたので、4年生くらいからラズくんに面と向かって揶揄うようなお子さんはほぼいなくなり、ストレスのない生活を送れていました。
同年代のお子さんたちは、複雑化、高度化していくコミュニケーションと、他者との摩擦や自己の葛藤を経験しながら文字通り体当たりで学んでいます。
そんな混沌から一歩身を引いた「蚊帳の外」にいさせてもらえているからこその今の安全地帯だということ。
そして、この安全地帯は小学校までで、中学からは自ら選んだ環境で、自分の居場所を切り拓いていかなければならないことも承知していました。
一つ前の項目に書いたことと被ってしまうのですが、
この「安全地帯」をありがたく利用させていただきながら、クラスメイトたちの「摩擦」を教材にして、ラズくんにお友達たちの気持ちを想像しては解説を続けました。
毎日下校してきたラズくんに「何か問題や事件は無かったか」と訊ねて1日学校で起きた出来事を聞き出しました。
クラスで問題が起きていれば、私の知っている情報とすり合わせたり、ラズくんの情報から想像したりして、見落とされている視点を解説したり、「どうすれば状況が良くなるか」などを話し合いました。
「だからといって僕は『〇〇しようよ』とは発言できない」とラズくんは言っていましたが、
私自身も「行動して現状を改善する」という目的ではなくて、
あくまでも教材として「周囲を見る目」「自分とは違うタイプの感じていることを想像する力」を養えたらいいなという思いでやっていました。
(渦中で実際に困っていたお子さんには申し訳ないのですが……。参戦できるほどの力はまだまだ育っていなかったので)
小学校生活そのものが「ラズくんにとっての実戦に出る前のシュミレーションの場」だと割り切っていました。
同じような印象の子達の中で『鮮やかに浮きあがって見える子』
小学校時代、ラズくんは、あるお子さんのことを「○くんと話していると、他の人となんだか違う感じがする」と言っていた時期がありました。
そのお子さんは、AくんでもBくんでもなく、ラズくんと同じ中学校を受験し、共に進学したお子さんでした。
AくんやBくんとは馬が合い、仲良く遊んでいたのですが、そのお子さんはまた別の魅力があったようで、会話の中にユーモアセンスがあり、話していて他の人とは違う楽しさがあったのだそうです。
進学先でそのお子さんは、ラズくんとは別のクラス・部活に入り、それぞれに仲の良い仲間ができ、今はあまり交流がなくなったようですが、小学校では名前もろくに覚えられないほど関心が無かった多くのクラスメイトの中で、そのお子さんだけが鮮明に浮き上がって見えたようで、小学5,6年生くらいの間は学校で顔を合わせた時に仲良くお話しさせてもらっていたようです。
また、中学校にあがって最初に仲良くなった同じ趣味のお友達がいますが、ラズくんと初めて会話したときに「こんなこと話せる人がいたなんて!」と感動されたのだそうです。
その日以来、そのお子さんとはずっと登下校も一緒で、休日は2人で出かけたりしています。
かつての私にも似たような経験がありました。
高校生の頃に出会ったある友人が、クラスで1人だけ鮮明に浮き上がって見えたという経験です。
この子と仲良くなったら絶対楽しそう!と思って声をかけ、予想通り、彼女のおかげでとても楽しい高校生活を送ることができました。
今思えば、その友人は私と似たような特性を持っていたのだと思います。
おっちょこちょいで衝動性もあったのか、直感で行動しては失敗もしていましたが、彼女のキャラクターには思わず周囲の人が笑ってしまうような魅力がありました。
キラキラと太陽のように光って見えた、当時の彼女のイメージが今でもハッキリと思い出されます。
特性ある人には、そうした「強く引き寄せられるお仲間」が世界中のあちらこちらに、まばらに散らばっているのだと思っています。
出会えるか出会えないかは運次第のところもありますが、習い事や趣味のサークル、そして中学受験をしなかったお子さんでも、高校以降の環境はある程度選べるので、出会う確率は高まります。
いつか「お仲間」に巡り合ったときのために、日頃から「自分らしさ」を追求しておくのは有効だと思います。
大好きなことに思う存分熱中し突き詰めていけば、知識や理解が深まったり、技術が磨き上げられたりし、結果的に本人の魅力や価値をあげていくことに繋がります。
ゲームでも漫画でも鉄道でも恐竜でも城郭でもなんでもいいのです。同じ熱量で同じ趣味に熱中しているお子さんは、必ずどこかにいます。
「定型の方達は、コミュニケーションをとることを目的にコミュニケーションをとるけれど、非定型のコミュニケーションは情報交換が目的」とも言われています。
普段の様子やちょっとした会話を発端に、「お、こいつはなんだか他の人と違うな」と、狭いストライクゾーンに飛び込んで来て、
「普段あまり喋らなそうな人だけど、話してみるともっと話したくなる、楽しい人だな」とか、「一緒にいて安心できる人だな」とか、「少々ぶっきらぼうでも心根の優しいやつだな」という風に、継続的なお友達関係に発展していくのだと思います。

いつか出会う『大切なお友達』と良い関係を築くために
「趣味が合うな」「魅力的だな」と思えるお友達と運良く出会えたならば、健全な関係を深めていくために自身の情動コントロールや相手への気遣い、想像力、言葉の使い方などのソーシャルスキルは不可欠です。
定型のお子さんが「揉まれながら体得」することも、特性のあるお子さんは自然に身につけていくのが苦手であったり、深く傷つきすぎてしまったりするため、
相手との関係が修復不可能なほどに壊れたり、生まれ持った認知の癖から、自分や相手が傷つくような関わり方を誤学習してしまうこともあります。
そのために、「小学校はプレ期間」と割り切り、そのお子さんの良さを引き出しながら、ソーシャルスキルを学ぶ時間に充てるのも方法だと思います。
「同じ地域で同じ年度に生まれたお子さん」というザックリとしたくくりではなかなか出会えなそうなのが、彼らの「お仲間」。まさにレアキャラです。
そうした環境では、無理に定型のお子さんと同じ速度で・同じプロセスを辿る必要性は感じなかったかな、いうのが私の感想です。
今回は、我が家の凸凹くんのお友達事情について、高校生になるまでの息子をみてきて感じたこと、小学校時代に我が家が気をつけてきたことを書かせていただきました。
次回は、通級でソーシャルスキルの教材として使っていたゲームや、ラズくんが読んでいた本をご紹介したいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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