今年も中学受験のシーズンが終わりました。受験された皆様、本当に本当にお疲れ様でした。
今回は、また少し受験から離れた話題になりますが、
いつか振り返ろうと思っていた「我が家の習い事」についてまとめることにしました。
この記事を書くにあたり、習い事をする一般的な目的を改めて検索してみました。
- スキル・体力の向上
- 社会性の育成
- 自信・自己肯定感の向上
- 視野・可能性の拡大
- 新たな居場所作り
と、出ました。
我が家では習い事をすることで「自信・自己肯定感」はむしろ下げてしまっていたように思います。
息子のラズくんはできないことが沢山あったので、小学校低学年くらいの頃までは「苦手を克服するため」という名目で、習い事や家庭での練習をさせていました。
苦手なことが “あんまりにも、ここまで?! ”って思うほどに “まるで” できなかったため「小学校で一人だけ全くできないことがこんなに多いなんて、本人も恥ずかしいだろうし辛いだろう」と思っていたからです。
過去に何回かご紹介したことのある、本田秀夫先生の動画「令和2年度発達障害者支援事業「ぽぽむ」講演会 「改めて『発達障がい』とは何か考える」では、以下のように仰られています。
「発達障害は育て方のせいではないが、
どんな“主観”を持った大人に育つかは育てられ方次第。社会参加がしんどいと感じるか楽しいと感じるかは、本人の主観によるものである」
その上で、『育ち方』には下の4つのタイプがあり、「苦手を深追いせず、人に相談することができるように育てるなど特性に合わせた育て方 “特性特異的教育タイプ”」以外で育つと、二次障害など何らかの支障をきたしてしまうとのことでした。
①特性特異的教育タイプ
②放任タイプ
③過剰訓練タイプ
④自主性過尊重タイプ
これらの中で私はまさに「③過剰訓練タイプ」の育て方をしていたのだと思います。
不器用だったラズくん
ラズくんは不器用だったので、ブロックの組み立てやお絵かきや工作も、上手ではなかったです。
上手くはありませんでしたが、絵や工作を好きそうではありました。
不器用でも扱いやすい、セロテープやガムテープをベタベタと多用して、ダンボールでデバイスやロボット(ペッパー)の顔のようなものを作っていました。(多分体まで行き着かなかった😂)
以前の記事で書かせていただいた、便器やトイレットペーパーのような物など、興味のわいたものばかりを作っていました。いずれも不恰好でしたし壊れやすかったですし、謎でした。

人より不器用そうだと気づき始めたのは小学校に入ってからでしたが、記憶を遡っていくと、幼稚園時代は「大きいサイズ」のレゴブロックであってもあまりやりたがらず、
大好きなペタペタブロック(プッシュブロック)でずっと遊んでいました。
パーツ同士ズレがあってもくっつき、弱い力でも組み立てたり、バラすことのできるこのブロックは、こどもちゃれんじポケットの教材で初めて出会いました。
小学校にあがってもしばらくはそのブロックで車や農場(謎)や鳥などを作ったりして遊んでいましたが、ペタペタブロックは大きなパーツなので、説明してもらわないと何を作っているのかよく分からなかったり(^_^;)、少し込み入った構造になるとパーツが外れやすくなってしまったりして、
ラズくんの作り出す世界やラズくんの説明が面白くはありましたが、客観的にみてやはり微妙な出来栄えでした。

一方で、周囲のお友達はレゴやラキューブロックで見応えのある作品を作るようになり、お家に遊びに行った時にリビングや子供部屋に飾ってある作品を見せてもらうたびに、
(うちの子はなんにも作ることができないなあ)
(工作などもぐちゃぐちゃで、何につけても最後まできちんと形にできた試しがないなあ)
と、私は虚しさを感じるようになりました。
そんな当時の私の気持ちを象徴するような、ある思い出があります。
博物館に行った時だったか、売店で、恐竜の骨を発掘して組み立てるおもちゃを見つけたので、なんとなく購入してみました。
土の塊からおもちゃの工具で骨を掘り出すのは思いのほか大変で、ラズくんは苦戦していましたが、私の手を借りながら、なんとか全てのパーツを掘り出し組み立てることができました。
完成した恐竜の化石は小さくて少しグラグラした部分もありましたが
「ラズくんの作ったものが初めてまともな形になった! これならお友達の家にあった作品のように、飾っていても違和感がないかも!」
と、私はとても嬉しくなり、しばらくリビングに飾っていたのを思い出します。
それだけ私は囚われていたのだと思います、形ある成果物に。
その一方で、お友達のレゴの作品がいくつも飾られていたリビングを思い出しては、ありがたがって飾っているグラグラした化石を、そのお友達やお母さんが見たらどう感じるだろうか、なんてことも思ってしまったりしていました。
今思い返すと、ラズくんが興味を持った、デバイスや水洗便器(笑)の工作を、私が手を貸してちゃんと形にしてあげればよかっただけではないか。
そんな簡単なことを、何故してあげられなかったのだろうか、と今となっては後悔しています。
ラズくんの習い事① 武道
ラズくんはこれまで、3つ習い事をしてきましたが、そのうちの一つは武道でした。年長から4年ほど続けました。
(武道の具体的な種目はあえてぼやかさせてください)
ラズくんの周囲では、年長さんくらいの頃から、何かしらの習い事を始めるお子さんが大多数でした。
ある日、幼稚園内でご近所だったグループで、空手の習い事のお試し参加にいかないかという話が持ち上がりました。
グループの全員が参加した中で、もちろん私もラズくんを連れて参加したのですが、ラズくんは見学席の椅子の周りをウロウロするばかりで、全く練習に加わろうとしませんでした。
お試し参加したお友達のほとんどは空手を気に入ったようで習い始めましたが、ラズくんの反応は微妙だったので、私は別の習い事を探しました。
ただでさえ他のお子さんと比べ動物的幼さのあるラズくんです。
小学校入学を前に、習い事でもしておかないと、何か成長に「出遅れる」ような気がしてきたのです。
そこで、たまたま見つけた、別のある武道の教室に見学に行ったところ、練習の後に柔らかい棒のようなものでチャンバラごっこをする時間があり、ラズくんはその時間だけはキャッキャと喜んで参加しました。
武道の技にはあまり興味がなさそうでしたが、ラズくんに訊ねると「また行きたい」と言いました。
準備運動として、柔軟の他に転がり運動、でんぐり返しをしながら進んだり、苦手なマット運動に似た練習をしてくれるのも魅力的でした。
ラズくんが楽しめる時間があるならば、この先も続けられるかなと考えて、その武道の教室に通ってみることにしました。
ラズくんの習い事② スイミングスクール
小学校にあがると周囲のお友達たちは次々とスイミングにも通い始め、やはりスイミングスクールのお試しにも誘っていただきました(笑)
近所のお友達が数名通っている、某大手スイミングスクールでした。
そこでは級が上がると水泳帽につけるワッペンが更新されてゆくので、外して使わなくなったワッペンをバッグに縫い付けていくお子さんが多く、バッグに並んだワッペンの数でどのくらい昇級してきたかが一目でわかりました。
ラズくんの同級生やその兄弟たちは3枚か4枚つけていて、早い子はすぐに泳げるようになっていきました。
ラズくんのバッグのワッペンは、3年間ずっと、2枚から増えることはありませんでした。
水に顔つけはできたものの、頭のてっぺんが隠れるまでは潜ることができず、23級(現在はコースが増えたのか変わっているようです)という、下から三番目のクラスから上がることができなかったのです。
おそらくラズくんには感覚過敏があるからだと思います。
ラズくんは赤ちゃんの頃から、お風呂が苦手でした。産院での初めての沐浴であまりに泣くので「なんか変だな……」と感じていました。
自宅のお風呂でもこの世の終わりのように泣くので、浴室の窓が通りに面していたこともあり、私は通報されるのを恐れて「アイアイ」を大きな声で歌いながら入浴させていました。
まるで虐待されているかのような泣き声と、「アイアイ」が大声で響いていた我が家、近所の方は怖かったと思います(笑)
1歳になるまで、一日たりとも休むことなく大泣きとアイアイは続きましたが、あるとき「タミータブ」に奇跡的に出会ってから状況が一変し、私自身も普通に入浴できるようになりました。
(夫の帰りはその頃深夜でしたので、私の入浴はままならなかったのです(~_~;)
ラズくんの赤ちゃん期は苦労したので、工夫したことやグッズなど書きたいことがどんどん出てきてしまいますが、話が逸れていくのでこの辺にしておきます💦
「感覚の過敏さ」は発達障害の特性としてはよく知られていますが、当時の私はなかなかその情報にたどり着けず、「大きな音が辛い」とか「洋服がチクチクする」などわかりやすい症状は理解できましたが、他にも色々な過敏さがあることや感覚鈍麻という症状もあることなど理解するまでに時間がかかってしまっていました。
それでも「ラズくんは水が顔にかかったり、耳に入りそうな感じがすごく怖いんだな」ということは本人の挙動から分かっていました。
私自身、水に潜るのは少し不安感と不快感がありますが、小学校高学年になってから喘息を治すために通ったスイミングで平気になった経験があります。
ラズくんはもともと水遊びは大好きでしたし、顔が濡れることや、耳に水が入りそうな嫌な感覚もスイミングで慣れて平気になったらいいな、という期待をしていました。
スイミングで頭のてっぺんまで潜ることができないなりにも、水中の物を拾ったりヘルパーを装着したまま浮かんだりする練習は楽しかったようで、毎週毎週同じメニューの繰り返しに飽きもせず、ニコニコしながら参加していました。
小さなお子さんたちがこのコースを次々と通り過ぎていくなかで、一人だけずんずん成長していき、すっかり23級の主のようになっていました。

昇級しなかったスイミングと、昇級しても上達しなかった武道
周囲から「なかなか受からなかった〇〇泳ぎ、先週やっと卒業できた」など、嬉しそうに報告されると、僅かに寂しさは感じたものの、ラズくんがスイミングで昇級してほしいとは余り思っていませんでした。
普段からプールに慣れておけば、小学校で水泳の授業が始まっても抵抗なく参加できるかなという思いだけで、スイミングに関しては特に目標を定めず、惰性のようにただ続けていました。
日能研に通うことになって習い事はすべて辞めましたが、スイミングの最終日には23級担当だった先生から「お力になれずに申し訳ありませんでした」と謝られてしまいました。
顔が濡れることが苦手なラズくんが、ここまで嫌がらず通えたのは、先生がたが無理をさせることがなかったからだと思います。
「こちらこそ、すみませんでした」と、私も何故か謝ってしまいましたが、それよりも感謝の気持ちを伝えれば良かったです。
一方、武道の方でも昇格試験がありました。
いつも通っている体育館ではなく、流派の大元である道場で、畏まった雰囲気の中審査が行われました。
二人一組で演武を披露しますが、どんな出来栄えだったとしても1年間練習に出ていれば昇格でき、帯の色が変わるシステムでした。
小学2年生の秋のことです。3回目の昇格試験でした。前回の昇格で帯の色が変わり、少し難しい内容になってきたからか、昇格試験でのラズくんの演武は一人だけ、全くできていませんでした。
次になにをするのかも分かっていないような様子で、相手の子に手を引いてもらったりして、手伝ってもらってなんとか最後までもっていけたような感じでした。
そんな自分の状態を、本人はどう思っているのか……緊張している様子もなく、審査会の前後はいつも通りに走り回ったり、広い畳にゴロンと寝っ転がったりしていました。
先生から「こういう場では緊張してしまうお子さんが多い中、ラズくんは普段通りのびのびとしていて、彼のメンタリティは強みになっていくと思いますよ」と褒めていただきましたが、到底素直に受け取れる心境ではありませんでした。
だって、ラズくんより年下の子さんや白帯のお子さんもいる中で、ラズくんだけ “何一つ、全く” 形になっていなかったのです!
先生の言葉は、そんなラズくんをフォローしているようにしか聞こえませんでした。
昇格試験の帰り道、私はラズくんに「ふざけていてばかりでちゃんと練習に参加しないから、今日は全然出来なかったんじゃないの?」と、冷たく言い放ちました。
普段の練習でもチャンバラの時間以外は積極的とはいえず、先生の説明を聞いたり、他のお子さんのお手本を集中して見ていることがあまり出来なかったラズくんのことを、
「普段からやる気がない結果の今日の演武」ではないかと責めました。
習い事を始めたために、あまり時間のやり繰りが得意でない私自身も、ラズくんに支度をさせ時間通り送り迎えすることに負担を感じる日もありましたし、季節のイベントや夏合宿もあり、見学やお手伝いの際に交わされる、他のお母さんがたとのちょっとしたコミュニケーションに気を使う場面もありました。
そうした自分の労力を思うと、向上心の見えないラズくんに対し更に苛立ちが募りました。
審査会が終わった後もご機嫌だったラズくんにとって、私の怒りは青天の霹靂だったようで、一瞬にしてしシュンとしてうつむきました。
それ以来、ラズくんは「昇格試験はうまく出来ないから嫌だ」と言うようになりましたが、私は短絡的にも「やっと自覚してくれて、手応えが出てきた」と溜飲が下がる思いですらいました。
我が家がやっていた習い事③ 書道
3つ目の習い事は2年弱くらいしか通っていなかった書道です。今回の記事のテーマにあまり関係ありませんが、ついでに少し触れておきますね。
(汚文字についての過去記事でも少し触れています)
ラズくんが通っていた幼稚園の保育士の先生が、副業(?)で師範をしていた書道教室に通いました。
その先生は、定年後に継続して非正規で働かれていた方でしたが、ラズくんが卒園する年にちょうど園を退職され、通ってみないかと誘われたのがきっかけでした。
少し厳しい面もあるおばあちゃん先生でしたが、以前からラズくんのことを気にかけてくれていて、私はお箸が持てないことを何度か相談していました。
1年生から小学2年生くらいまでその先生の元へ通っていましたが、近くの教室が閉鎖され、先生のご自宅が教室となり、遠くて通うのが大変になってしまったことで辞めました。
ラズくん自身は書くことにあまり身を入れることができず、長机の下で寝そべったりしていて(^^; 正直、何か効果があったかというと、無かったな・・・と思います、とても申し訳ないのですが😨
けれど、お世話になった先生でしたので、なんとなく辞めると言い出すきっかけがなかったのもありました。
一方で、私の方は行っていた甲斐がありました。
私はこれまで書道をしている人をまじまじと観察したことがなかったので、ラズくんが習っている間、周りの高校生たちが、一見すごい勢いをつけて書いたような達筆の作品を、ゆっくりゆっくりと、集中したり休憩したりを繰り返しながら仕上げていくのを、背後からずっと見ているだけでも衝撃的でした。
書道を辞めた後も、小学校の宿題で書き初めが出るたびにアドバイスができて、決して上手ではありませんでしたが”まあ見れるかな” という作品を提出できていたので、その点だけは良かったかな〜、なんて思っています。
通級で、習い事について苦言を呈されるも……
3年生になって通級に通い始めたばかりのころ、ウィスクの検査をしてくださった先生に、習い事について訊かれたことがあったので、私は水泳と書道と武道に通っていることを伝えました。
「だからどうして……」
と一呼吸置いて、呆れたように言われました。
「なんで苦手なことをやらせるんですか?」
そう言われましても……と、当時の私は心底「??」という感じでした。
「苦手だから、ちょっとでもできるようになるといいなと思ってやってるんです」
と答えました。
人よりも上手くできるようにならなくても全然よかったのです。
なれるとも思えなかったですし。
ですが、ちょっとだけでもいいから”人並”みに近づけたかった。
その先生には、発達検査の結果を告げられたときに、ラズくんの「出来ないこと」の捉え方として、以下のように説明を受けていました。
「ある目的を達成したいとき、苦手な方法では、頑張れば少しはできるようになるかもしれないけれど、労力の割には細ーい道でしか繋がらない。
だったらこの細い道を使うのではなく、別のルートで目的を成し遂げたほうがいい」
「ほそーーい」と言いながら、先生はメモ用紙にいかにも頼りない線を、薄っすらと引いてみせてくれました。
でもこの細い道も、頑張れば少しは繋がるんだよね?
途中で点々と途切れている、薄くて細い線に視線を落としながら私は思っていました。
ならば無駄ではない。
だって小学校に行けば、体育も水泳も書道(書字)も、避けては通れないわけですから。多くのお子さんと自分とを比べてしまったり、他人の評価に晒される事態も避けられません。
「……まあ、水泳は全身運動だし、運動はしたほうが、しないよりは良いと思うよ?」
と仰られたあと、先生は私の顔を見て少しため息をつき、無言になってしまいました。
今なら分かりすぎるほどに分かります、先生のお気持ち(笑)
そしてきっと、私のような親ってすごく多いんだろうな〜、とも……。
しっかり説明をしていただき、分かったつもりでいても、やはり一変には認識が変わらなかったようで、講演会や勉強会に赴いたり本やインターネットで調べたり、そしてラズくん本人の変化を感じながら、徐々に理解を深めた先にいる今の私です。
親の私ですらそうでしたので、いわんや他人をばです。
「小学校に行けば、体育も水泳も書字も避けられない」と思っていた事を上に書きましたが、実際にラズくんは低学年時、板書が遅いことで隣の席のお子さんに笑われたり、「バカなんじゃないの?」と言われたりしたと家でよく怒っていました。
通級に通うようになってから、過去の記事でも触れた通り、小学校での大縄跳びの練習に、回し手として参加させようとしてくださったり、宿題の期限にゆとりを持たせてくださったり、学年で一人だけ、プールで身体中にヘルパーを巻きビート板を持たせてくださったり(笑) 、もしかしたら通級は小学校にも、こうした配慮を促してくださっていたのかもしれません。
学校側の配慮についての説明は、私には一切なかったので、理解がなかなか追いつかなかった私は意固地になって苦手を克服させようとしてしまった面はあったと思います。
我が家が居住する地域では2010年代半ばで通級の再編成があったようで、ラズくんが通っていた通級は、まだ出来たばかりの真新しい施設でした。
2010年代は、日本で特別支援教育制度が大きく変わり始めた時期で、ラズくんが小学校低学年時代を過ごした2010年代中頃はまだインクルージブ教育の基盤整備の途中段階だったようです。
学びの場に変化があることで「人の評価に晒され、比較することで劣等感を抱いてしまうのではないか?」という私のような杞憂は無くなってくるかもしれませんが、
今思えば、私自身にこそ「人並みにできなければ恥ずかしい」という意識があったことに気がつきます。
こちらの、「育ち方の多様性をリスペクトする社会のあり方~自閉スペクトラム症(ASD)を中心に~」という記事を読んで、
親は子供の苦手を受け入れて「せめてこれくらいは(できて欲しい)」という気持ちを乗り越える必要があるという本田先生の言葉は、当時の自分のことを言われているようで胸にこたえます。
とはいえ、当時、通級などで私と同じような立場の保護者の方々とお話しする機会があると、様々な捉え方・段階にいるのだろうな〜、とその時々で感じていましたし、親が受け容れられるタイミングもあると思うので、普通級に通う、ラズくんのような特性をもつお子さんの場合(自分も然り)そこがなかなか難しい所なのかな……と感じました。
今回はここで一旦切らせていただきます。
次回は、私自身の幼少期の思い出や、「本当はラズくんにやってもらいたかった習い事」
「息子の出来ないことを認め、得意を伸ばそう」と思えたきっかけ、
私が怒ってしまった昇格試験の一年後、「武道の最後の昇格試験」での出来事について書かせていただく予定です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




コメント