『人は人との関わりの中で幸福感を得る』凸凹くんのお友達事情①

小学校時代まで

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現在高校生となった息子のラズくん。
小学生だったころ、私は様々な問題に悩み、心配していましたが『多くの苦手』は、工夫したり、「自分とはそういう性質を持った人だ」と受け容れたりすることで、現在は平穏な毎日を送れています。
ですが対人関係だけは、本人が未だにコンプレックスとして抱えている課題です。

ですので、今の段階では解決法は書けそうにないのですが、私が過去にどのようなことで頭を悩ませ、そして工夫してきたか、その先にどんな姿に成長した高校生の凸凹くんがいるか。
1つの例ではありますが、知っていただくことで、同じ心配をお持ちの親御さんのちょっとした先の見通しに、または共感していただけることで気持ちの整理に、少しでもお役立ていただけたらという思いで、今回は、我が家の「凸凹くんのお友達事情」についてまとめてみました。

※ 今までお友達のことはあまり詳しく書いてきませんでしたが、小学校のお友達に関しては、この記事ではできるだけ踏み込んで書かせていただきます。
また、最近のお友達に関しては、特定を避けるために少しぼやかすか、フェイクを入れさせていただきます。

この記事のタイトルにした、『人は人との関わりの中で幸福感を得る』という言葉は、通級の先生が仰られていた言葉です。

通級に通い始めたころ、ラズくんにはお友達は全くいませんでした。
1人だけ、気に入ったお子さんがいたことはいましたが、そのお子さんは2年生時には不登校をされ会えなくなりました。

小学生の頃のラズくんは、お友達がいないことを全く気にしていませんでした。

当時を振り返って「お友達がいない、または積極的に人に話しかけることができない自分の性質のために困ったことはあったか」と尋ねると、「委員会で発表しなければならなかった時以外は、特になかった」
との答えが返ってきました。
小学校の授業中にグループを作って話し合ったりするときは、ラズくんはほとんど発言していなかったようですが、そのことで困った状況に陥ることはなかったようです。

小学校時代、お友達のグループに入れないだとか、いじめられた、などで困ることがなかったのは、ある意味「安定して過ごせた」といえるのですが、
それはラズくんが元々の性質として、あまり人に積極的に関わろうとするタイプではなかったことと、小学校のカリキュラムにおいて、そこまでコミニュケーション力の無さで困る場面が無かったこと(修学旅行があれば、クラス分けによっては疎外感を感じる場面があったかもしれませんが、コロナ禍で中止になりました)、
そして、自分を他者視点で見る目がまだ未発達だったこと、が背景にあったからで、だからこそ嫌いなレクリエーションから平気で逃げ出したりもしていました。
(降りかかる「嫌なこと」に苦しんではいたので「全くの平気」ではありませんでしたが、人からはそう見えた事でしょう……。)

未就園〜幼稚園時代のラズくんを思い出すと、いつもとても楽しそうに遊んでいました。
少し年上のお兄さんたちが公園で鬼ごっこをしていると、ケラケラ笑いながら集団の横を走っていましたし、女の子たちが数人で交互に滑り台をしていると、ニコニコしながら自分もその列の最後に並んで何周でも交代で滑りました。
ぱっと見、混ざったように見えたとしても、決して一緒に遊んではいませんでした
砂場ではおもちゃの貸し借りができなかったので、私は多くのお子さんが公園に集まる時間帯を避けたり、色々な公園を転々と巡ったり、ボーネルンドのキドキドをよく利用したりしていました。

小学校で、「嫌いなレクに参加しないと決めた」と、勝手に輪から外れるラズくんの様子に、私は、クラスのお子さんたちに「ずるい」と思われるのではないか、とか、実際にズルイし……とか思ってモヤモヤしていましたが、
一方で、お友達がいないことや、周囲からどう思われているのかを全く気にしていない本人の様子に、心配しつつも「メンタル強いな」とか、「将来は好きなことを活かして、一人でもできる仕事などすればいいかもしれないな」とどこかでタカをくくっていた部分もありました。

私のこうした浅薄な考えを見透かされたのかどうかは分かりませんが、通級に通いはじめた頃に、上記の言葉を言われたのでした。

自分が好きなことや楽しいことをしている時の幸せと、心から満たされる幸せは種類が違う」ということ。
自分の特技があったとしても、一人でそれをして満足しているだけでは、本当の意味で満たされることはない。それを社会や誰かのために生かし、ありがとう、助かったよ、と言われることで人は初めて本当の幸福を感じることができる
だから人と関わっていくことは、避けては通れない
というようなことを言われました。

その後中学校に上がり、成長とともに
「初めてのお友達に自分から話しかけられない」
「話しかけにくい、友達にはなれないだろうな、と感じるタイプがいる」
「そのタイプは大体は運動部で、身内のネタで盛り上がって話している、またはふざけたりしている陽キャ」
「そして、そのタイプがクラスの多くを占めている」ということを言い始め、
「自分みたいなタイプは少数派である(つまり、グループ分けやクラス分けなどで同じようなタイプとマッチングしづらい)」ことも気にしているようでした。

小学生の「メンタルが強い」ように見えたラズくんは、幼さゆえの強さであり、問題が先送りされていただけなのだと実感しました

中学1年生時は、たまたま入学前から小学校のお友達つながりで仲良くなっていた、同じ趣味を持つ、穏やかな性格のお子さんが同じクラスになったため、とても運良く安定したスタートを切れました。

ですがそのお子さんとは2年生では別のクラスになってしまい、最初の半年ほどは居心地が悪かったようなのですが、
新学期の自己紹介で「プログラミングが好き」と言っていたお子さんに、夏休み後にやっと声をかけることができ、仲良くなることができました。
そのお子さん繋がりで、数人のゲーム好きなお友達も増えたようで、ラズくんの楽しそうな様子にハラハラしながら見守っていた私も、やっとホッとしたのを思い出します。
この時のお子さんが、ラズくんが自力で獲得した、初めてのお友達だったと思います。

中学2年生で、初めて自分から「この人となら話が合いそう」と目星をつけ、半年間じっとチャンスを伺い(笑)、選択授業で席が近くになった隙を見計らって話しかけ仲良くなれたのです


では、これまでのお友達関係は、どんなタイプのお子さんと、どのように築かれたものだったのか、小学校時代を振り返ってみたいと思います。(記憶を頼りに書いているため、学年が一年くらいは前後してしまうかもしれません)

話は小学校時代に戻ります。
ラズくんや私がずっと悩まされてきた「登校しぶり」が無くなったきっかけの一つは、高学年でお友達ができたことでした。
一人でも平気でいたラズくんでしたが、やはりお友達の影響は大きかったのです

高学年で仲良しになったお子さんをAくん、Bくんとします。Aくんは3年生、Bくんは4年生で初めて同じクラスになりました。
3年生時のAくんは、ラズくんにすれ違い様にわざとぶつかったり、挨拶するように強めに叩いたりという、ちょっかいをかけてくるタイプのお子さんで、ラズくんが怒って小競り合いに発展し、先生を挟んで話し合いになったこともあるお子さんでした。
時々なぜか仲良くなったり、また悪くなったりを繰り返していましたが、4年生でも同じクラスになってからは関係が安定し、仲良くなりました。
4年生の時、私がそのお子さんとお話ししたときは、とてもきちんとした言葉遣いで物怖じせず話してくれるお子さんで、卒業後もラズくんの似顔絵を描いてラインで送ってくれたり、穏やかで優しいお子さんという印象でした。

Bくんは色々なお子さんにどんどん話しかけたり、独創性のある遊びを持ちかける積極的なタイプでした。
低学年の頃(3年生くらい?)、Bくんを中心に「折り紙でパックンを作って、戦わせる」という遊びが一部で流行り、多くのお友達とパックンで遊んでいたようです。
ご近所さんとお家に行き来もしていたようで、ママ友さんと会話するとき、Bくんの名前が出ることがしばしばあり、同じクラスになる前から私はBくんの存在を知っていました。

ラズくんもパックンの戦いに参加し、折り紙を何重にも重ねて折ったり、キラ紙や両面折り紙など紙質を変えたりして、自宅でも「強いパックン作り」に熱中していました。

Bくんとは、4年生から卒業までの3年間、同じクラスになりました。
Aくんも6年生時に同じクラスになります。
絵が上手なBくんは、5年生時はカードゲームを自作する遊びを始めていて、ラズくんやAくんも一緒に遊んでいたようです。
私がPTA役員をしていた年にBくんのお母さんは委員長をされていて、親同士付き合いがあったこともあり、Bくんとは高学年になってからよくお家を行き来するような関係になりました。

そして、冒頭で触れた「1年生時に仲良くなったけれど、不登校をされて会えなくなったお子さん」とラズくんは、「マイクラごっこ」とか、「カプセルトイの自販機になりきる遊び」をして遊んでいたそうです。
こちらのお子さんは、入学時の集団下校期間が終わり、各自での下校が始まった初日から、家の方角が一緒だったからか分からないのですが、ラズくんと一緒に帰ってきて、我が家の玄関まで寄ってから帰る、という下校パターンを繰り返していました。

初めて立ち寄ってくれた日に、たまたま玄関に飾っていた透き通った列車の置物を気に入ってくれて、窓のサッシの上を走らせたり、太陽の光を透かせて「綺麗だな〜」と眺めたりと、意外と長い間滞在していました。
私としては嬉しかったのですが、寄り道が禁止されている中、帰宅が遅いとお家の方が心配するのではないかというのが気がかりで「一回帰ってから遊びにおいでよ」と何度も説得し、最後にはラズくんと一緒にお家の近くまで送ったりということもありました。
ラズくんは、習い事のある日にそのお子さんが立ち寄ると、ゲームなどで1人で遊ぶ時間が無くなると思い始め、見つからないように、逃げるように帰ってくる日もありました。
その後、そのお子さんは1年生の半ばくらいから徐々に学校に来なくなり、2年生時には不登校をされていました。

このように小学校生活を通してのお友達との遊びは、会話でのコミニュケーションを楽しむとか、ボール遊びをする、というような遊びではなく、独自の世界に浸って楽しむような遊びが多かったような記憶です。

そして、どのお子さんも、どんどんラズくんに関わってきてくれる、積極的なタイプでした
また、お母さんから、または本人のお話から後で知ったことですが、AくんとBくんは、どちらも幼稚園の頃に療育や、小学校で通級に通っていた経験のあるお子さんでした
(関係あるかどうかわかりませんが、Bくんのお母さんだけでなく、Aくんのお母さんも、別の年に委員長をされていました。)

積極的なタイプのお子さんが近づいて来てくれたお陰で、消極的なラズくんもお友達を作ることができました。

ですが、それとは別の意味で「ラズくんのことを気にして」強く引き寄せられてしまう(?!)お子さんたちもいて、
彼らのことをラズくんは「大嫌い」と言って憚りませんでした。
私も度重なるトラブルに頭を悩ませたことが懐かしいです😅
それぞれ、Cくん、Dくん、Eくん、とさせていただきます。

Cくんは、通級に通い始めた3年生時に同じクラスになったお子さんでした。
「嫌な言葉でいじめてくる」とラズくんが通級で訴えたのはこのお子さんのことで、ラズくんの遊び方を揶揄われていたのだそうです。
また、Cくんの体操着を誤って持ち帰ってきてしまったことがあり、電話連絡をしてもご家庭に繋がらなかったため、手紙を入れて、休み明けに謝って返すようにと言った時も、「できない!」の一点張りでした。(なんとか嫌な雰囲気にならずに返せたようですが、私はかなり気を揉みました)

通級で「苦手なお友達の良いところを探そう」という取り組みをしていたので、Cくんの良いところは? と訊いても「ない!!」と即答するくらい頑なでした……。

続いてDくんについてです。
通級を卒業後の5年生時に同じクラスになったお子さんです。
DくんはCくんと仲が良く、2人ともスポーツクラブにも入っていた活発なタイプだったようです。
「Dくんが僕の消しゴムを持っていた」と、ラズくんが訴えてきたことが何回かありました。
ラズくんが取り返そうとしても、Dくんと仲のいいお友達と一緒になって自分の消しゴムだと言い張り、認めないのだと言っていました。(消しゴムのケースに名前を書いていたのですが、ケースを外して持っていたのだそうです)

ある日、ラズくんが気に入って使っていた鉛筆軸がなくなり、同じものをDくんが持っていたそうです。
鉛筆軸は名前が書きづらいので、シールに名前を書いて貼っていました。
ラズくんは怒って「Dくんが僕の鉛筆軸を持っていた。シールで名前を貼っていたから、それを剥がして自分のもののようにしていた」と、担任の先生に訴えたそうです。
ですが、担任の先生も、とったところを見たわけでもないので、
「名前はシールではなくて、直接書きなさい」と指導されて終わったようです。

ラズくんはそれから、持ち物に「耳なし芳一」のように沢山名前を書いて埋め尽くすようになり、「怖いからやめてよ!」と私が言っても、筆箱の四面、蓋の外側だけでなく裏側も、そして鉛筆を入れる内部も名前で埋め尽くしていました。
ラズくんはいつ自分の文房具が盗られるのではないかと過剰に警戒していて、Dくんが嫌いな気持ちで頭が一杯になっているようでした。

そんなことがあった後、Dくんのお母さんと、懇親会のグループで、隣の席になったことがありました。
可愛らしい今時の若いお母さんという感じで、口数少なく座っていたのですが、お小遣いの話題になったときだったか、突然、
うちの子文房具すぐなくすから、もう買ってあげるのやめたんです
と言い出したのでええええ(  Д ) ゚ ゚となりました。

確かに、今のクラスになって間もない頃
「Dくん今日、消しゴムをすぐ失くすからってお家の人が超でかい消しゴム買ったみたいで持ってた。でもそれを●くんが取りあげて音楽室で投げ捨ててた」とラズくんが言っていたことがありました。
その超でかい消しゴムが、Dくんのお母さんの最後通告だったのでしょうか……。
自宅に帰ってから、Dくんのお母さんがしていた話を家族に伝えたら、夫が
文房具くらい幾らでもくれてやれ!!
と、アマゾンで消しゴムと鉛筆軸を大量購入していました……。

文具が大量に届いたからか、記名されまくった文具が紛失しなくなったからか、はたまた気持ちが落ち着いてきたのか……
ラズくんの文具への異常な執着も、Dくんへの強い拒絶反応も、だんだんと収まっていきました。

最後になりましたが、2年生時に同じクラスになったEくんについてです。
このお子さんはラズくんが通級に通うきっかけに関係しているお子さんです。
ラズくんが2年生の時、学級文庫を読んでいたら、Eくんもその本を読みたかったのか、ラズくんの顔を殴ったあと蹴って本を取り上げたのだそうです。
ラズくんは鼻血を出したまま職員室に走っていって助けを求めたとのことでした。
そのお子さんはもともと手が出てしまいやすいタイプで、クラスのお子さんたちは、その事にある意味慣れて(?)いるといいますか、スルーする事でやり過ごしているところがあるようでした。
ですが、度々トラブルも起きていて、物を壊されたり、怪我をさせられてしまったりと、保護者も生徒(特に女の子)もそのお子さんに怯えているというような噂を、よく耳にしていました。

スルーは大の苦手なラズくん、殴られた事件以来、「嫌い!!」と本人に面と向かって強い口調で言い放ったりしては、プリントを破られたりノートにぐちゃぐちゃに落書きされたり、しょっちゅうトラブルを繰り返していました。

担任の先生からは、面談で、みんなは多少のことはスルーできているところ、ラズくんはできないから標的にされている側面もある、と言われました。
そしてもう一点、後ほど書かせていただきますが、「コミニュケーション力に心配がある」とも言われた事が、私が行動を起こすきっかけになりました。

このように、ラズくんは「幼さ」「スルースキルのなさ」「ストレートすぎる言動」「過剰な反応」で、一部のお子さんを悪い意味でも引き寄せてしまう特徴がありました


長くなってきましたので、ここで一旦切らせていただきます。

次回は、
小学校時代に多くのお友達と関われない我が子のことを、私がどのように捉えていたか、また気をつけていたことを、現在のラズくんのお友達関係とも絡めて書かせていただく予定です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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