いつか終わりがくる

小学:低学年

受験とは離れた話題ですが、塾に入る前、通級に通っていた時期にあった出来事を書いておこうと思います。

嫌な事がずっと続くような気がしてくる

小学校低学年の頃の話です。
息子のラズくんはドッジボール、クラスでのレクリエーション、大縄跳びなど、みんなでするゲームやスポーツができませんでした。
もともと、体育やレクは全般的に嫌いでしたが、とくに勝ち負けが決まるものが苦手で、「参加しない」と自分の中で決めて、その場から離れてどこかへ行ってしまったりしました。

「学校が嫌だ」という言葉や登校しぶりは日常茶飯事でしたが、上記の取り組みが始まると、一層加速して「嫌だ」という気持ちで頭が一杯になっているようでした。

苦手なことや辛いことは、どんなお子さんでも持っています。
多少の不満や愚痴をこぼしたりしながらも、その子なりになんとか頑張って参加しているのだろうと思います。
そんな中、すぐに逃げ出してしまう我が子は「ずるい」と思われるのではないか。実際ズルイし……という、モヤモヤとした気持ちもありました。

「ドッジが嫌だ、〇〇が嫌だ、××が嫌だ」と、学校での嫌いな取り組みを、よく通級でも訴えていました。
すると、先生が
「ドッジボールの授業も、嫌いなレクリエーションも、ずっとは続かないよ。どんなことも終わる時がくるんだよ」
と、声掛けしてくれました。
言葉で言われたくらいでは納得できないのがラズくんですが(笑)何回も、そう声がけしてくださったそうです。

そのうち本当に終わりがきた時に「あ、ほんとだ。終わった」と、気づく、という事を何度か繰り返すことで、だんだんと身にしみてきて、
苦手なことがあっても「その期間をなんとかやりすごす」という、
みんなが出来ているようなことが、出来るようになってくるのかな? などと思っていました。

親である私も気づいた事がありました。
私はずっと、レクリエーションやゲームに限らず、学校での取り組みについて
「こういう部分が楽しいんだな」と楽しさを理解したり「出来た時の喜び」を知ってくれたらいいな、と思っていました。
そして楽しめるだけでなく、欲を言えば、平均くらいには上手くできるようになって欲しかったです。

もちろん「楽しい・上手くできる」に越したことはありませんが
「嫌いなことや出来ないことがあってもいいんだ。苦手なことを楽しまなければいけないとか、無理に好きになろうと思わなくても良いんだ」
と、捉え方が変わってきました。

(通級では、少人数グループで、学校という実践の場よりもハードルを下げた、ドッジボールやレクリエーションの練習のような取り組みもしてくれて、ラズくんは最終的には小学校のレクや行事に参加できるようになりました。
苦手意識はまだありますが、脳が成熟してきたこともあるのか、苦痛の感覚はだいぶ軽減したようです。)

大人の私にも、同じような感覚があります

「嫌な事がずっと続くように錯覚してしまう」事に関しては、大人の私でもある事だな〜と思いました。
「目の前の問題に囚われてしまい、ずっと今の状態が続くような気がして、絶望的になってしまう」感覚です。

ラズくんはずっと補助輪なしの自転車に乗れませんでした。
4年生の交通安全教室に向けて、補助輪を外す練習をしていることを通級の先生に伝えてありました。3年生のはじめの頃のことです。
その他にも、鉄棒、水泳、縄跳び、10分間のお留守番、etc. できないことが沢山あり、加えて毎日の宿題をこなすことも一苦労だったので、私は疲れ切っていました。

思わず、通級の先生に、
「いつまで自転車の練習を頑張ればいいのでしょうか……全然乗れるようになる気配がないのですが、どこまで頑張れば、もういい、となるのでしょうか?」
と、弱音を吐いたことがありました。
このまま乗れるようにならないのではないか? ならばどこまで努力したら良いのか、終わりはあるのだろうか、と、自分でも判断がつかなくなってきていました^^;

すると、先生は、
「できるようになることが重要なのではなく、例えできるようにならなかったとしても、ずっとお母さんが一緒に練習してくれた、という記憶が彼の中に残ることが大切です」と答えてくれました。
その言葉をきいた瞬間、ふさいでいた気持ちが、ふっと楽になった気がしました。

それから一年ほど経ち、少しずつですが、補助輪なしの自転車に乗れるようになっていきました。

「いかにも練習」という練習は疲弊するので、自転車を蹴りながら散歩をする、というスタイルに変えました。
まずは補助輪をつけて、補助輪が地面に接することなく、スーッと進めるように地面を蹴って進む練習をしました。
ラズくんは背も伸びてきたので、自転車にまたがり両足で地面を蹴りながら母親と散歩している姿は、ちょっと変だったかもしれません^^;

そのうち補助輪を片方ずつ外していきました。
数秒間ペダルに足を置く事ができるようになると、電信柱にぶつかったり段差で倒れたりするようになりました。
その度に癇癪を起こしては、自転車を蹴って怒っていましたが、交通安全教室までには「乗れるようになった」と言える位に上達してきました。

交通安全教室では、乗り馴れた自転車があると良いかなと考え、ラズくんの自転車を持っていかせました。
小さな自転車だったので、他の子が使ったかは分かりませんが^^;
けれどやっぱりまだ自信がなかったようで、ラズくんは結局、自転車には乗らず、押して実習を受けたようです。

今では何事もなかったかのように、26インチの自転車で立ちこぎをしたりして、自由に乗りこなしています。
ラズくんがぶつかった電信柱の前を通ると、当時の記憶が蘇って胸があたたかくなります。


大人である私でも、大変な時はとくに「その状態が永遠に続くような気がしてしまう」
けれど、「全く同じ状況が続くということは無いんだな」と体感として気づいた出来事でした。

また、通級の先生の言葉のおかげで「終わりにたどり着くまでの過程」が、ラズくんにとっても、私にとっても、辛い思い出にならなくてすみました。

「結果ではなく過程が大事」という言葉があります。理解はしていたつもりでも「こういうことなのか」と、私なりに腑に落ちました。

それ以来、ラズくんに出来ないことがあり、それが周りの子達より、かなり遅れていて幼稚に思えることでも、自信を持って寄り添う、または見守ることができるようになりました。
ちょっと過保護がすぎると周りには変に思われているかもしれませんけれど^^;

私が寄り添った時間が、ラズくんの記憶の一部に、なんとなくの感覚としてだけでも残って
この先、自分の力で何かを頑張らなければならない時に「心を支えるお守り」の役割を果たすといいな、と願っています。

コメント

  1. papapa1005 より:

    「嫌なずっとは続かないよ」「一緒に練習した記憶が彼に残ることが大事」先生がおっしゃったとされるこれらの言葉は、勉強になります。我が家の長男は今度4年生になりますが、これまでこのような言葉かけをしてこなかったなぁ、と反省しています。本当に勉強になります。早速、今日から使わせていただきます。

    • 凸凹くん母 凸凹くん母 より:

      コメントありがとうございました。
      通級の先生の言葉は、本当に親にとってためになりました!
      我が子の場合はですが、変化はすごーくゆっくりで、こちらの働きかけが効いているのか成長によるものなのか、分からないくらいでした😅
      ですので、お母様も疲れてしまわないよう、なかなかうまくいかないことも多いと思いますが、可愛い今のお子さんとの時間を楽しく過ごし、いい思い出にできるようにと願っています。

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